娘が看護師としてお世話をしている日系人の女性は、40歳を少しすぎた有名大学を卒業し,大きな企業のマネジャーであった人と言うこと以外私は
知らなかったのですけれど、ある日その家庭から私は招待を受けてお伺いしました。
その日は町内の花火大会の日で、近所に住む娘、息子家庭お孫さんたちが賑やかに集っていました。とてもよい方たちで、居心地の良い雰囲気でした。
「お母さん、この人」という娘の紹介に 、いつの間にか私の隣に座っていた女性に気がつきました。
「なんと美しい」ふくよかな顔に笑みを湛えたお姫様のように美しい、優雅な身のこなしの女性でした。
この女性は食卓に置かれた沢山の食べ物に、手を伸ばすたびに「今食べてはいけない」と両親から注意されていました。
注意されると素直に手を引くのです。その時も美しい笑みを浮かべたそのままの顔つきで。
彼女は食べ物が有るとひたすら食べ続け、どうしょもなく太ってしまう。とお父さんが説明してくれました。
「この子は可哀想な子で」と年老いたお母さんが話し始めました。
30歳の半ば脳溢血で倒れ、一命は取り留めたものの、脳に障害が残りこのように人の世話を受けなくてはならなくなったということです。
30数歳までの彼女の人生は誰にでもひたすらく尽くした人で、彼女の夢はアフリカの恵まれない子供の世話をすることであったそうです。そのような人に、どうしてこのような不幸が見舞うのか。誰にも分からないことです。
この女性のボーイフレンドは、5年経た今も彼女を愛し離れ難くしているそうです。まだ若く未来の開けたこの男性に申し訳なく、両親はどうか新しい人生を歩んで欲しいと懇願し、彼は納得したもののせめて一週間に一度でもあわせて欲しい、と言う彼の願いを断ることは出来ずにいるということです。
高村光太郎の智恵子抄を思い起こすような。
この人を取り戻す、すべが今の世にない。