90歳のお爺さんと、7年間居住を共にして、学ぶところが沢山あります。
お爺さんはかの有名な、典型的アメリカのミドルクラスの人生を、外的にも内的にも過ごしてきました。
生まれた時からミドルクラスの一員であったわけではなく、幼い頃はスカンジナビアからの、移民の2世としてカンサスの田舎で親の農業をたすけていました。アメリカが黄金の時代を迎える歩調に彼の人生も沿って、アメリカを支えるミドルクラスの一員となりえたのでした。
夫婦仲も良く、子供も大して悪くは無く、物には十分に満ち足りて何事にも大らかに寛大でありえました。
肯定的な人生観から85歳になっても友達の儲かりそうなビジネスの話に乗り、数年後には全財産を失うこととなりました。
つい最近まで、負の財産の 後始末を息子(我が夫)が助けるのですけれど、お爺さんはこの上ないストレスから2歳児のように息子を怒鳴り散らすのでした。
当然ながら、同居人はイヤーナ思いをします。
人が窮地に陥った時、その人の本姓が現れるものです。
それも最も近い人に向かって。
ごく最近、家を失いかけた時にはその頂点に達し、連日わめき散らしたものです。
その後、家を失わなくてもすむことになっても、何かにつけ支配欲が増長して、我々を支配したがるので、私がかなり強く対すると、驚いて 「ごめんなさい」 というのですけれど、又同じことを数日後にするので、「おおこれは」 と夫と頷きあいました。
老いて心を失い始めると、その人の本性だけが現れる、この世にいながらあの世の姿を見ているようです。
その時には既に、自分を省みることさえ出来なくなってしまっている。
日々の精進がどれほど、貴重なことかと思うこの頃です。
どのように老いていくか…
ReplyDelete老い方というものをよく考えさせられます。
娘が介護の仕事をするようになり、現場の報告を聞きますが、
老いという実の結び方は様々で、おおらかに謙虚に可愛らしく
老いて、周囲の人々にも良い影響を与えてくれる人もいれば、
逆に、気難しく傲慢で短気になっていく人もいると。
人生の終わりに近づき、それぞれに結んだ実の経路は
どうだったのかと思わせられます。
霊界に行く前に、整えておきたい心があります。