人と言う存在は人の話をよく聞ける人より、
話し好きの人のほうが多いですね。
ほっとけば、自分の話ばかりを延々と話続ける人が沢山居ます。
話している人の話の腰を折る人。
たくさんの人が、自分を認めて欲しいという欲求がとても強いですね。
その競争たるや、喧々諤々ものすごいエネルーギーです。
出てくる言葉は、決して穏やかな言葉だけとは限りません。
人のいう事を聞けないと、自分の成長が妨げられるのではないですか。
耳をすませてごらん
耳が二つに口が一つ。
著者佐藤富雄氏は日本ではポピラーな方かもしれませんけれど、私は最近まで知りませんでした。
巷にこのような本は沢山出版されていますけれど、この方は生物学的に自律神経の働きを中心に語られているので、異なる方面から ”何故よい言葉を使うべきかを” 納得できます。
自律神経の働きについては人の知るところですけれど、言葉に関して、氏がいわれているのは、
”自律神経は口から出た言葉の意味を漏れなく読み取り、無条件に従い、本人の意識が及ばぬところで、じわりじわりと現実をつくり変えていきます。未来の運命は、今現在あなたが口にする言葉によって変えられるのです。
そうなってしまう理由は、自律神経が 「主語」 を解さないからです。ということは自分以外の人のことをかたっても、自律神経はすべて自分自身のこととして受け止めます。
さらに自律神経は過去、現在、未来といった時間の区別をしないので、この場でわが身に起きていることと受け止め、身体の随所で変化を促します。”
よい食べ物を摂取しているのに似ていますね。
それにしても昔から、「論語読みの論語知らず」 と言われるのはどうしたことでしょうか。
「聖書読みの聖書知らず」 という言葉は聴きませんけれど、同じことが言えますね。
要するにあらゆる因習に満たされた一人の人間が、本来の自己を取り戻すためには沢山の時間を要するということですね。