精神を統一し、集中して思念すれば、全部分かります。
取るに足りない蟻でさえも、梅雨の始まりを知って前もって避難するではありませんか。
人間も自分の行く道を、先んじて知らなければなりません。
カササギの巣を詳しく観察すれば、風が何処から吹いてくるかを知ることが出来ます。
どこからか風が吹いてくれば、カササギはその反対に入り口をさっと作っておきます。
家の軒のように、雨水が一箇所にだけ流れるようにするのです。
カササギもこれだけの生きる知恵があるのに、人間になぜそういう能力がないのでしょうか。
牛を愛すれば牛が見えるのです。
この世で最も力強いのが愛であり、一番恐ろしいのが精神統一です。
心を落ち着かせ静めていくと、心の奥深いところに心が安らぐ場所があります。
その場所まで、私の心が入っていかなければなりません。
心がそこに入って眠って目覚める時には、精神がとても敏感になります。
正にこのとき、雑多な考えを排除して精神を集中すれば全てのことに通じます。
疑問におもぅたら、今すぐにでもやってみたらよいでしょう。
この世の全ての生命は、自分たちを最も愛してくれるところに帰属しようとします。
ですから、真に愛さないのに所有し支配することは偽りなので、いつかは吐き出すようになっているのです。
”平和愛する世界人として”より
希望のない世界、愛のない世の中を治療しようとしたら、私たちはもう一度、幼いころの純粋な心にもどるしかありません。
際限のない欲望から離脱して、人類の美しい本性を回復するためには、幼いころ、父の背におぶさって学んだ平和の原理と愛の息遣いを生かすことが必要なのです。
平和を愛する世界人としてより
お互いを認め合い助け合って生きる。
- これが宇宙の真理です。
取るに足りない動物も其のことを知っています。
植物を見ても分かることです。
お互いにためにいきながら、共に生きることが正に宇宙の原理です。
平和を愛する世界人として
私が森を愛したのも、其の中に世界のすべての平和に通じるものが宿っていたからです。
森の中の生命は争いません。
勿論互いに食ったり食われたりですが、それは空腹でしかたなくそうしているのであって、憎しみからではありません。
鳥は取り同志、獣は獣同士、木は木どうし、互いに憎しみは在りません。
憎しみがなくなれば平和がやってきます。
同じ種同士で互いに憎しみ合うのは人間だけです。
国が違うと言っては憎しみ、宗教が違うと言っては憎しみ、考えが違うと言ってはまた憎しむのです。
平和を愛する世界人として