Saturday, September 17, 2011

晩年



隣のメグさんのアルツハイマーが 重くなり、ナサリー ホームに移動して一ヶ月少し経た頃、メグさんのボーイフレンドと一緒に、私と娘は尋ねて行きました。

とても綺麗なホームで、メグさんは仲間と毛糸を括っていました。

チャーミングでお洒落だった頃の面影は失せて、虚ろな眼差しでその心はもはやこの世になく私と娘を隣人として認識しはしたものの、我々から見れば意味の無い行動をし、モゴモゴと何かを呟いていました。

共同生活をしている人たちはどの人も、かっては華やかな典型的アメリカの中産階級を謳歌した人たちであると見受けました。
この様な姿を見るのは悲しいことです。

友人の知り合いである夫人がやはりこの病に倒れ、彼女たちが尋ねたときにはすっかり彼女たちが誰であるか忘れてしまっていたそうです。それが悲しくて泣いてしまったら、この婦人はとても美しい言葉で慰めてくれたそうです。友人が言うにはこの婦人はその生涯を隣人に尽くし、良く助け、希望を与えていた人であったそうです。その方は今もなおかつ会う人事に美しい言葉で、話しつずけていると言います。

この日は私たちの生きようを、深く考えざるを得ない日となりました。

Thursday, September 8, 2011

言葉について



「20代で言ってはならない100の言葉」

この様なタイトルの本が、日本で出版されているというのを最近知りました。
とても興味をもってサイトをチェックしてみると、まず心を引いたのは「この言葉を一番聞いているのは自分自身」と言う文章です。
「なるほど」

いくつかの例をみてみると、自分が日常使っている言葉が沢山有ります。
これは要注意で、悪い習慣を改めていかなければならないと肝に命じました。

それにしても、日本人はかなり言葉を貴重に取り扱う国民ではありませんか?
「言霊」という言葉もありますし、私なぞも人格と発する言葉はほぼ同じと取る傾向が有ります。
それが故に 言葉 にはかなり引っかかります。

欧米にしても、「初めに言葉ありき」と聖書にもあるように、勝手に言葉だけが飛び歩いてよい筈がありませんし、紳士淑女はそれなりに言葉を選んでいると思います。

しかしながら、比較的こちらの人たちは心に発したことを、すぐに言葉に表していく傾向が強いようです。そうした傾向から受ける側も意味深く受け取らない心構えができている様子で、我々日本人が言葉で傷つけられる傷より、はるかに軽いかすり傷くらいで済んでいるようです。
 アメリカ育ちの娘であっても、この傾向は理解できないといっています。

夫なぞ多少は気にしたり、怒ったりするけれどお互いに「ごめんなさい」と言ってすぐにケロリとしています。
とても私には出来ない芸当です。

Thursday, September 1, 2011

意志について思うこと





今の時と言うのは沢山の問題がありながら、一方においては人の心がとても本質的なものに向かっていると言うことを感じます。

既成概念や当たり前と思っていたことがそうではないかもしれない、と確認する必要を感じたりすることがありますし、人の心が随分と真理を知る事に対して柔軟になってきているようにも思えます。

例えば、意志という言葉。
私は意志が強い人間だとかなり誇りを持って、人生を開拓してきたと自負していたのですけれど、
すなわち自分で自分の行くべき道を設定し目標をしっかりと立て、それに向かってひたすら努力しました。

幼い頃から、小学校の時代からそのように教えられてきましたし、それが一番よい生き方だと、親も先生も親戚も言いました。

そして目標に向かって、ひたすら自分を駆り立てました。

脱落すれば弱い人にすぎなかったのでした。
落後者とか挫折とかという言葉が待っていました。

いま気がついてみれば、自らが鍛え上げた強靭な意志で内なる声を封じ込めてきたように思います。

それは ほ おぽのぽの で知らされました。

意志とは、すなわち自分とか自我とか言われるとても強いものですね。