Wednesday, June 22, 2011

恩讐の彼方に ある日系1世の話

娘は医療を志す ワシントン州立大学の学生です。
週末はある沖縄出身の1世の家庭の娘さん、すなわち日系2世のメディカル ケアーをしています。

その家庭の1世である70歳を超えた夫妻は、我が娘に自分たちの来た道の様々な話を聞かせてくれるそうです。彼らの幼かったころの話は戦争にまつわる話で、この年代の多くがそうであるように、彼らもその戦争によって人生が決定ずけられているようです。

特に沖縄の玉砕は涙なくして、語ることも聞くこともできないたくさんの話があります。

その1世のご主人の喉に傷があるそうです。ある日その傷の話を娘にしてくれたそうです。
連合軍によって沖縄が陥落した日、親は子供を殺し自分も死のうと子供の喉を切ったその時、米軍が侵行してきて子供の命を救ったと言うことです。

私の父親もパプア ニューギニアで若い命を終えました。

我が夫の88歳の父親は、戦争時を通してその人生を、ボーイング社で戦闘機の技師として働いてきました。 かの有名なB29も手がけたそうです。

私の父が戦死したのをとても悼んでくれて、父の戦死はB29の爆撃ではないのが少し彼の心を軽くしてくれているようです。

昔ニューヨークで真珠湾攻撃で有名な、淵田中佐の息子さんにお会いしたことがありました。
戦争後、淵田中佐はあの戦争を悔い改めて、キリスト教の宣教師として欧米で宣教活動に励んだと言うことです。

一昔前、命をかけて戦った私たちが ”恩讐の彼方に” このアメリカで出会うことの、運命の不思議さをつくずくと思うひと時を、戦争をまったく知らない娘がもたらしてくれました。

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