Monday, July 30, 2012

よく生きるために 2


人生は大変なことが多いのに、自分で更に困難を増し加える必要はないでしょう。

ある人が語った、何気ない言葉です。

人生で、日常生活で、知らず知らずのうちに私たちは不必要な困難を、累積しているものだと気がつきます。

それはまさに ”断捨離” のようにして、物を整理すると同時に自分の心を整理し、身の周りと心の中にも気の流れを良くしたら、どれほど心地よい日々を送ることができるでしょうか。

Sunday, July 22, 2012

扶養義務 親子

日本で大騒ぎしている問題の中に、子供が高給取りであるにもかかわらず、親を扶養しないいくつかの例が問題になっていますね。
日本も欧米並みに、随分と個人主義になってきてしまったのですね。自分は面倒を見ないで、公共機関に任せてしまおうと考えるのですね。
日本は伝統的に、多くの子供達は大きくなったら親を楽にしてあげたいと思ったし、給料をもらえるようになったらそれが高給であろうとなかろうと、いくらかなりとも親に手渡したものでした。

アメリカでは、そのような思いを親も子も持つことはありませんね。
確かに老いてくれば、多くの人は自分を中心としてしか考えられなくなるし、そのような老人と一緒に暮らすのはどれほど大変なことか私も90歳の舅と生活していて、嫁さんの気持ちも良くわかると言うものです。

アメリカの多くの人たちははるか昔に、このような摩擦から身を引き、今では親の面倒を見ると言う風潮は、皆無となってしまったようです。

わが旦那は東洋人と結婚する人ですから、大家族に憧れる人であり、物分りの悪くなった親と住むのが当たり前と思うのですけれど、彼の億万長者の妹は差しさわりのないことには口出しも顔出しもするけれど、親が破産して困ってもびた一文たりとも差し出そうとはしないし、親を養老院に入れることばかりを考えています。
私からみれば、こうした女性がウイッチの様に見えますが(言い過ぎましてゴメンナサイ)、それがアメリカでは当然のことなのですから、彼女たちから見れば親と住んでいる我々が物好きをしているだけの話です。
こうした社会は、人間関係が基本的な家庭のレベルで切れてしまうではないですか。
家庭は愛の学校である。よい言葉があります。