Sunday, July 22, 2012

扶養義務 親子

日本で大騒ぎしている問題の中に、子供が高給取りであるにもかかわらず、親を扶養しないいくつかの例が問題になっていますね。
日本も欧米並みに、随分と個人主義になってきてしまったのですね。自分は面倒を見ないで、公共機関に任せてしまおうと考えるのですね。
日本は伝統的に、多くの子供達は大きくなったら親を楽にしてあげたいと思ったし、給料をもらえるようになったらそれが高給であろうとなかろうと、いくらかなりとも親に手渡したものでした。

アメリカでは、そのような思いを親も子も持つことはありませんね。
確かに老いてくれば、多くの人は自分を中心としてしか考えられなくなるし、そのような老人と一緒に暮らすのはどれほど大変なことか私も90歳の舅と生活していて、嫁さんの気持ちも良くわかると言うものです。

アメリカの多くの人たちははるか昔に、このような摩擦から身を引き、今では親の面倒を見ると言う風潮は、皆無となってしまったようです。

わが旦那は東洋人と結婚する人ですから、大家族に憧れる人であり、物分りの悪くなった親と住むのが当たり前と思うのですけれど、彼の億万長者の妹は差しさわりのないことには口出しも顔出しもするけれど、親が破産して困ってもびた一文たりとも差し出そうとはしないし、親を養老院に入れることばかりを考えています。
私からみれば、こうした女性がウイッチの様に見えますが(言い過ぎましてゴメンナサイ)、それがアメリカでは当然のことなのですから、彼女たちから見れば親と住んでいる我々が物好きをしているだけの話です。
こうした社会は、人間関係が基本的な家庭のレベルで切れてしまうではないですか。
家庭は愛の学校である。よい言葉があります。

4 comments:

  1. 過去、現在、未来を結ぶ三世代家族が運を受ける
    理想的な家庭の容と云われていますね。
    日本も近年過疎化が深刻な課題となっていますね。
    老後を寂しく過ごす人、子育てでノイローゼになる
    若いお母さんたち、互いに知恵と力を出して生きていけば
    随分バランスのとれた家庭が生まれることでしょう。
    欧米では社会通念が個人主義ですから、アジア諸国のような
    罪悪感はないのでしょうね。
    最も介護の問題は深刻で、上手に施設を活用していくことも
    また智恵だと思うのです…。
    要は地理的距離よりは、心の距離が問題なのではないかと。

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  2. 仰るごとく、心の距離の問題ですよね。
    それと自己の意識ある間に、知的にではなく心に刻んで、自分の心を高める努力をしていないと、心まで老い込んで、自分の心に刻まれた行動しかできなくなってしまう、恐ろしい現実が待っているということです。

    三世代がともに住めば人生において、沢山の人間関係を理解することができるし自分自身が学ぶ多くのことがあります。そして後孫に残す葛藤が和らいでいくと思います。大家族は過去に余りの負担が多かったので、人々は疲れ果ててしまったのでしょうけれど、過去を改善しながら行く道を探しながら生きたいと思います。

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  3. 心の老け込み…
    何と恐ろしい言葉でしょう。
    通常の脳の働きがあるうちは出て来ない「我」というものが
    表面に顕れて来る時に、それまだ培われた生き方が
    如実に表れるのでしょうね。
    その領域では、客観的に自分を観察して、理性と良心で自己を矯正する力が
    乏しくなっているのですから、どんな心と表情を表現しているのか…
    老いているほどに心のおしゃれをしなくては。

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  4. 老いた親と暮らすとき、遠い昔からの先祖たちが果たしえなかった、気がつかなかった累積した葛藤の一つ一つを、解いていかなければならないと思うようになりました。
    見えない気持ちの問題だけでなく、脳の働きなぞ昔に比べれば科学的にも解決の道ができたのですから有難いことです。
    自らも老い込まない前に、勉強しなければなりません。

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