Monday, August 27, 2012

家族団欒






家庭とは、愛を教えるところではありませんか

マザーテレサ

日本の男性たちは毎日遅くまで働いていますけれど、良い時間と彼らの多くが思っているのは仕事をしているときよりも、家族と一緒にいるときだと回答するそうです。

アメリカはどうでしょうか。
fireside この単語は一家団欒という意味ですけれど、あまり耳にすることはありません。
それでも子供が小さいときは、家族は仲良くしているように見えます。

子供たちが運転を出来るようになった時、あちこちに散らばっていくといいます。

その時までが、勝負ですね。
良い家庭は良い社会を築き、よい社会は良い国家を築き、よい国家は良い世界を作る。

人のために生きる

掃除小僧
掃除小僧

人のために生きることが生活化されていなければなりません。

この公式は、何処に行っても適用されます。

人のために生きようとするので、朝早く起きて掃除をし、汚れている場所をきれいにしてから、その日の仕事を始めるのです。

良い言葉です。

学校や会社では苛め国家では戦争。
気が重い話ばかりです。
どのように解決するかと話はたくさん出るし、イジメッコの遺伝子や脳の働きや細胞の話もたくさん出るけれど、 私の中で行き着く先は心と体の掃除を日々実践するということに帰結します。

Monday, August 20, 2012

階前の五葉すでに秋声

      偶成  (朱喜) 

     少年易老学難成 

     一寸光陰不可軽 

     未覚池塘春草夢 

     階前五葉巳秋声 


秋立つ日も終わった晩夏の日々、
学校もすぐ始まるし、
人々が普通の生活に戻ります。
にぎやかだった海辺も静まり返り、
夏の終わりの侘しさに、
時のたつ早さが
ことさらに身にしみるこのときです。

Monday, August 13, 2012

私の存在


”自分の生活で繰り広げられるすべての内容は、世界と関係する現象として残る”

 私は単なる市井の平凡な者だけれど、自らを過去と現在と未来の立場に心の存在位置を立てようとする意識があるならば、それは十分に可能であるということですね。


Monday, August 6, 2012

8月15日

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戦争はもとより困難なことに対決して、人はどのように対処するでしょうか。

シリヤの戦火の元、逃れ逃れて生き延びた女性の一人が 「神がどこにいるか」 とつぶやいていたという記事を読みました。

そのような体験だけをした人が知る、心の嘆きです。

8月15日敗戦記念日を迎える日本も、高齢者は戦争を体験してきました。

その中の一人、私たちの身近に居られる方はサイパン島生まれの方です。

サイパンや沖縄と聞けば、「戦争のときは大変でしたでしょう。」 と私たちの年代は話が始まります。

この方はその当時は5歳か6歳の少年だったのでしょう。
親たちは自決するために、子供たちを連れてクリフにたどり着いたそうです。
その辿り着いたクリフが余りに高かったので、小さい子供であったこの方は怖くて飛び降りることができずにいると、親はナイフで彼の喉を切った後、クリフから身を投げたそうです。
程なくやってきた米軍にこの方は一命を救われ、収容所で暮らしていたその時、従軍牧師が神様について語ったけれど、自分の親や知人が目の前で果てたのに、どうして神様の存在を肯定できるものかと、その時は強く否定したそうです。

そうは言ったものの、何かが心に残り、もしかしたら、アメリカに行ったら何かよいことを知ることができるかもしれないと、ここかしこ伝を頼りにアメリカに渡ってきたということです。

キリスト教に帰依することはなかったけれど、全てに感謝しよい行いをすることに心がけ今日にいたり、「沢山の孫たちに囲まれとても幸せだ。」

と言われるそのお顔は、とても穏やかなよいお顔です。

肯定的に、人生に対することができる人は幸いですね。