Saturday, September 17, 2011

晩年



隣のメグさんのアルツハイマーが 重くなり、ナサリー ホームに移動して一ヶ月少し経た頃、メグさんのボーイフレンドと一緒に、私と娘は尋ねて行きました。

とても綺麗なホームで、メグさんは仲間と毛糸を括っていました。

チャーミングでお洒落だった頃の面影は失せて、虚ろな眼差しでその心はもはやこの世になく私と娘を隣人として認識しはしたものの、我々から見れば意味の無い行動をし、モゴモゴと何かを呟いていました。

共同生活をしている人たちはどの人も、かっては華やかな典型的アメリカの中産階級を謳歌した人たちであると見受けました。
この様な姿を見るのは悲しいことです。

友人の知り合いである夫人がやはりこの病に倒れ、彼女たちが尋ねたときにはすっかり彼女たちが誰であるか忘れてしまっていたそうです。それが悲しくて泣いてしまったら、この婦人はとても美しい言葉で慰めてくれたそうです。友人が言うにはこの婦人はその生涯を隣人に尽くし、良く助け、希望を与えていた人であったそうです。その方は今もなおかつ会う人事に美しい言葉で、話しつずけていると言います。

この日は私たちの生きようを、深く考えざるを得ない日となりました。

1 comment:

  1. 認知症の中にアルツハイマー症が属するということを
    サイトで知りました。
    記憶が遠のいていくという現象は、年齢と共にありますが、
    認知症となると、記憶力の減退という段階を越えている
    わけですものね。
    娘が今介護の仕事をしていますが、毎日、認知症の人と
    出会っていると、「この人たちはどんな人生を歩んで
    きたのだろうかと考えてしまう。」と話していました。
    同じ認知症でも、このブログの方のように美しく老いて
    いく人もあれば、極端なほど自己中心になる人もいると
    いうのです。娘は「美しい老い方をしているのはやはり
    それまでの心の在り方が原因していると思うし、逆の
    場合も生き様から来るのではないか」と言うのです。
    一理ありますね。美しく、そしてしっかり記憶を維持
    しながら生きられるように、周囲の人々に負担をかけない
    ように、と願うのですが…

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