Saturday, February 11, 2012

完ぺき主義ということは。。。。。

完ぺき主義ということは疲れますね。

昔日本に居た若い頃、このような言葉を聴いたとき、
意味が分かりませんでした。

受験地獄を生き抜き、
私は地獄と思うことなく過ごしてきましたけれど、
目指すは100点であり完璧でなければなりませんでした。

完璧であることは良いことであり、
人生においてそうではなければならないと、
当たり前のこととして過ごしてきた人生の歴史も、
他国に来て "あれよ” と思い始めたものです。

何かが壊れて修理人を頼んでも、完璧に治さず
”治ったよ” と帰っていくアメリカの修理屋サン。
ここを直しても、あちらを壊していく、
電話をして2度、3度と直してもらわなくてはならないのも、今も変わらず。

間違ったからと言って、彼らは決して悪びれたりはしていません。

「誰にも間違いはあるものだ。」

被害者は、鷹揚に振舞っていなくてはなりません。

日本に居た時はレシートを保管しておく習慣、
というのを持っていませんでした。

その昔日本では壊れたものを売る店、というのはなかったからです。
アメリカではちがいます。
宝物のようにシッカリとレシートは保管しておかないと、
何が起こるかわからない。

これらの事柄は、この国が多少いい加減、
と思われても仕方ないですね。
特に日本人からは。

「見てごらん、この国の下り坂」
日本が景気の良い時代はこの様にいえましたけれど、
今はどうも、日本の按配もよくないですね。

それから以後アフリカに居て、ロシアにも居てたまに日本に帰った時、
物凄い疲れを覚えました。
電車を待っていると一秒も狂わず、
1mmも狂わず、私の前にピタリと止まる。

ロシアもアメリカもこのようなことに関して、
それほどみっともなくはないけれど、
日本のようにそこまでしなくても良いよ、というほどに、
妙に日本ではつかれましたね。

最寄の駅の朝、会社に一秒でも遅れまいと血相を変えて小走りで行きかう人々、外国帰りがボヤ-ッとしていると 突き飛ばされますよ。
戦場のようですね。

どこかの国なぞは "ごめんなさい” もいわず、
8時間も飛行機が遅れますものね。
見送りの人も出迎えの人も8時間待つのですよ。
文句も言わず。

日本国は何処もかしこも綺麗で繊細で、公衆トイレが綺麗なのはいいですね。
他所の国から帰ってくるとお城のように思えます。

妹なぞは、下着と上着はキチンと分けて洗濯するのですよ。
アメリカ人のように、赤ちゃんの肌着と雑巾を一緒に選択することは、
私もしませんでしたけれど。

タオルや雑巾も
3種類も4種類も分けて使っていますので、
間違って使うと母親がいやな顔をしました。
アメリカ人の夫なぞオロオロしていました。

本当に100点取らないといけないとか、
完璧でなければならないとは
疲れるものだと思いました。
もうちょっと 心を 入れてくれない?

5 comments:

  1. なかなか興味深いお話でした。(^.^)
    韓国に移住して6年、今ではすっかり、
    「ケンチャナヨ」精神が身に付いたのではないかと
    思っていましたが、まだまだついていけません。
    乗り物の遅れはないようですが、一番がっくりくるのは
    家電製品の雑さです。
    壊れるのが当たり前、返品しても「ああ…」でお終い。
    人とぶつかっても「ごめんなさい」はなし。逆でも平気。
    それに慣れてしまうと存外生き易いなんて思うように
    なってしまう自分に呆れています。(笑)
    確かに日本はきっちりしていますよね。
    どこもかも清潔とは言えないでしょうが、それでも
    他国から見ればそうなのでしょうか…

    ReplyDelete
  2. ケンチョナヨ 精神、とはどの様なことですか?
    韓国の人は、MAID IN JAPAN の家電を使っていないのでしょうか?
    炊飯器はどんなことがあっても日本製でなければなりません。
    炊いたご飯が炊飯器の中で、3日たっても同じ炊き立ての状態ですよ。
    20年使い古した炊飯器でも、日本製は依然として他の追従を許しておりません。
    それにしても日本製の値段の高いこと。
    私なぞ悔しいけれど、つい安物に手が行ってしまいます。
    日本の家電のメーカーが赤字に転落していくこのごろとか。
    悲しいですね。

    ReplyDelete
  3. 「ケンチャナヨ」というのは、「構いません」とか「けっこうです」という意味ですが、
    大抵、「気にしないで良い」という風な軽い表現に使っています。
    ヨをとって「ケンチャナ」となると、「いいよいいよ」という具合に、
    ほんとに気軽に使われるのです。面白いのは、良くても「ケンチャナ
    」悪くても「ケンチャナ」
    「良いね」という使い方、逆に「構わないよ」という表現にもなり、便利です。
    韓国人の日本製品への憧れはすごいものがあります。
    とても高いですよね。
    この街ではどこのデパートもスーパーも日本の家電を見かけません。
    国家の威信なのか、made in korea に力を入れています。
    それと、韓国人の欧米指向は大変なもので、家電も多いのです。
    特にティファールが多いようです。
    ただ、日本が物づくりを多国に任せてしまうようになってからは、
    その憧憬心も薄らいで来たのではないかと思います。
    中国が日本製品にかなり強い憧れを持って、どんどん買っているのではないかですか。

    ReplyDelete
  4. ケンチャナヨの意味について有難うございます。
    良くても悪くても使う、というのは面白いですね。
    日本語でも英語でも、こうした使い方の言葉ってありませんよね。

    一部金持ちの中国人の高級品に対する購買力というのは、
    すごいようですね。

    かって日本がそうであったように。
    農協さんなんて言葉もありましたね。

    ReplyDelete
  5. 完璧主義ということで、内面的な世界のことを評するのは
    とても難しいです。
    私の思う完璧が、時に大きな問題を引き起こしかねません。
    往々にして固執に偏る傾向がありますから、私も気をつけなければと
    思う日々です。
    日本語の「けっこうです」という言葉ですが、韓国語の「テッソヨ」と
    似ています。日本語で「けっこうですね」と言う時は褒めことばになり、
    「けっこうです」と言う時は断り文句になるように、
    韓国語でも「良いですね」という表現としても、「もうけっこうです」と
    いう断り文句にもなります。イントネーション次第で、同じ断り文句でも
    例えば、食事のお代わりを催促された時、やんわり感謝の意味を込めて、
    「もう充分ですよ」という風に使ったり。
    このような微妙な表現はいかにも東洋的というべきでしょうね。
    せっかく韓国に住んでいるのだから、もっと勉強しなくてはと思うこの頃です。

    ReplyDelete