Friday, November 4, 2011

”気” について その2


”気” について、色々と見聞きしていく中で、

風水という概念も人間の体から拡大されて、自然界、生活環境に及ぶ気の流れをよくすために編み出されたもののようです。

余り込み入ったことには深入りしたくは無いのですけれど、"方違え” とか源氏物語の世界の人々のように振舞うには、現代は余りに忙がしすぎます。

身の回りを自分の体だったらどうだろうかと思って見直すと、部屋の中でも、なるほどここで気が滞っていると見えるようになった気がしました。

どこかと言えば、親父さんの周りですよ。

お爺さんとお父さんは親子ですから良く似ていて、身の回りを放っておくとホームレスの館のように見苦しくするのです。

”自分の体と思ったらどうするか?ここで気(血)が止まっていると思ったらどうする?”

違う方面からお諭しすると、”なるほど” と恥じ入っていました。
だからといって、すぐ掃除すると言うことにはならないのですけれど。

身の回りを生きている自分の体を愛しむように、”場を整える”、と言う事をまなばされます。

2 comments:

  1. あれ、コメントしたのに、アップされてないです(-_-;)
    どうしたことでしょう…

    では、もう一度。
    風水の専門的なことは分かりませんが、ここ韓国では
    古は元より、近代的な建築の立ち並ぶ現在に至るまで、
    風水が重んじられているようです。
    運気が抜けてしまう場所には、松林などを設けるとか…

    日常的な暮らしの中でも感じられますよね。
    雑然としたところは気が滞るように感じられますし、
    本然の位置にない物事が落ち着きを失くしてしまうなど、
    何となく気の有無を感じてしまうものです。
    神秘と思える世界も、原因を訪ねてみると、存外、
    私たちが日常的に感じられるべき世界にあるように
    思います。

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  2. そうですね。神秘と思える世界も科学的に解明されてきて、体を巡る気はミトコンドリアといっている人もいます。なかなか面白いですね。

    中国では風水は宮中だけで使うものとして、極秘になっていたという話も有りますね。無償の贈り物を、私物化するとは嘆かわしいことです。

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